立つ鳥跡を濁さず

私の姉は43歳に乳癌とわかって3年後に逝った。癌とわかる7年くらい前から体調は良くないのがわかったのに、せっせと家のローンを残さないよう支払いを終えて逝った。なぜ、そこまでする必要があるだろうか家族みんなの家なのにと、そのときは思った。後で姉の夫だった人は言った。あの家は彼女の為のものだった。だから彼女の希望だけで建てたものだと。姉はキッチンに立ったとき自分が想像していた場所に今立っていると感じた、と話していた。引越して来たら周囲を散策して歩いたと嬉しそうに言った。子育てしながらパッチワークを作って絵に描いたような結婚生活だと思った。ただ、老後の自分が夫婦で一緒に居る風景をいくらイメージしようとしても全く想像できないのと言っていた。キッチンに立つ未来は実現しただけに老後がイメージ出来ないのは不安だっただろう。やがて数年後に姉の夫だった人は再婚して新しい家を買った。その家は彼だけの好みだと言った。姉は自分の家だったから最後まできれいに片付けて去ったのだと納得した。自分はどこまで出来るだろうか?と思った。独り身では委ねられる人はいない。私の理想は淀川長治氏だ。映画の最後に「それではサイナラ、サイナラ」と言っていたあの人だ。淀川氏は単身でTVでも活躍されていたこともあって、かなりの財産があったという。それで老後は一流ホテル住居だった。そこまで財産のない人は出来ない事だけど、数年前、久留米のビジネスホテルで女性が亡くなったとニュースが流れた。女性は3ヶ月ほどホテルにいたという。一度救急搬送されてホテル側から入院を勧められたが断ってホテルに滞在し続けた。彼女は自分が余命いくばくもないことを知っていた。住居も既に引き払っており、ホテルで最後を迎える事を選んだのだ。少なくとも死後数ヶ月も知られずに迷惑かけてしまう悲惨さは回避出来る。彼女のバッグに遺書らしきものがありホテル代と葬儀代とに充分なお金が残されていたという。住居の近くのホテルではなく、わざわざ遠くを選んでいたという。ニュースでそんなことまで詳細を聞くのも珍しいと驚きながら、ふと彼女も淀川長治氏の載った雑誌を見たのではないだろうか?私と同じことを考え尚且つ実行したんじゃないの?と思った。この世に生を受けた時も、この世を去る時も結局のところ誰かにお世話にならざるを得ない。それでも、人様へ迷惑をかけることを最小限にとどめたいと思ったのだろう。女性はまだ中年で高齢者ではなかった。ホテルにも警察にもいっさい迷惑はかけなかったと言われた。こういう引き際をする女性はどんな人生を歩いたのだろうかといつまでも心から離れなかった。