タブーへの勇気

たしか平成20年頃だったと思う。私は厚木駅の仕事「駅エレベーター設置工事と駅トイレ改修工事」に携わっていた。小田急線は全駅にエレベーターを設置しなければならないことになっていてトイレは普通トイレ改修工事の他にマルチトイレも新設した。設計図面を描きながらオストメイトを使う人がいるのに普段は何も考えずに電車に乗っている自分に気付いた。

 そんなおり従姉妹が入院したと聞いて見舞いに行った。大腸癌だった。軽い症状を市販薬で対処していた為、病院に行った時は直ぐに手術になり肛門を残すことは出来なかった。相部屋の方が「夜中、ずっと泣いていらっしゃいます」と話してくれた。術後も縫合した肛門の痛みを訴えた。そして「死にたい、死にたい」と泣いた。私は病院から帰る道々、祈り続けた。従姉妹が癌から回復しますようにから始まり、祈りはどんどん変わっていく。自分の願いから神のみ旨を聴くところまで祈りが変えられた時だった。駅から自宅までのちょうど中間地点で幻を見せられた。1m巾ほどの細いトンネルを私は歩き進む。トンネルの天井にやはり1mおきに穴が空いている。穴はひとりひとりの人を現していた。少し先を見るとひとつだけ天井から水が滝のように落ちている穴があった。そしてそこに辿り着いた頃、私はその穴が従姉妹のことを示していることに瞬時に気付いて言葉を失った。神からの祈りの応えだと確信した。そのとたん号泣しながら暗い夜道を家まで帰った。これは夢を見ているのではなく歩きながら祈っていた時の一瞬の出来事だった。

 手術は成功して術後の経過も良く従姉妹は退院した。退院後、泊まりに行った時、並んでる寝床で従姉妹が夢を見たと話してくれた。既に他界している両親が来てくれた夢だと言う。「心配してくれたのかなぁ」と嬉しそうだった。

 以来、私は従姉妹が去って行く前提で話していたらしく、従姉妹のお姉さんから「縁起でもない事言わないでよ!」と激怒された。お姉さんは未来を見ていた。今しか無いような言い方をされたら怒るのも当然だろう。今後どうしていこうかとか、術後10キロくらい痩せた従姉妹にあれこれ話しかけて鼓舞していた。

 

あれから、20年近く経つけれど、旅立った従姉妹と最後の1日を過ごしたあの日、「いちばんの願いは何?」と尋ねた私に彼女は真っ直ぐに自分の気持ちを言ったのに、「そっかぁ」と本当に自分の信じている事を言わずに当たり障りのない言葉で後ろ髪引かれながら去った自分の事を未だに引きずっている。自分が信じた事なら迷わずに、それに則って行動すべきだったのでは?あの日が何となく最後になると思いつつも従姉妹が喜ぶひと言すら言ってあげられなかったのは、タブーの壁の前に迷いと怯えで勇気が持てなかったからだと誰よりも自分自身が知っていた。なぜ、あの貴重な1日を活かせなかったのか?