好みが180度変わった不思議
1.セキセイインコ
職場の女の子の勧めで昼休みにヒナを見に行っていた。私は羽毛も生えていない真っ裸のヒナは気持ち悪かった。だいいち鳥そのものが嫌だった。野鳥を遠くで眺めるのは好きだったが特に籠で飼われているセキセイインコは嫌いだったのだ。派手な色彩がチンドン屋みたいで引き締まったボディーの野鳥の動きに比べどんくさいと感じ、頬の色だけ違っているのも頬紅を塗ったオカチメンコとしか思えなかった。それでも昼休みに何度かヒナを見に行くようになると「やっぱりここにいると思った。」と彼女がやって来た。私は1羽の雛を買った。一緒に寝て圧死させた話を聞いていたのでショールで包んで枕元に寝かせた。けれど羽毛も生えていない雛は暗闇の中を這って布団の中の私の胸の上に来た。ショールに戻しても何度も来るのだ。ヒナは私の心臓の音を聴くと安心しているようだった。見えないのに心臓めがけて這ってくることに感動した私は胸に抱いたまま死んでも動くもんかと決めた。そうして私とセキセイインコとの暮らしが始まった。何十羽のセキセイインコと暮らしただろうか、そろそろ40年になろうとしている。
2.山登り
20才代の頃、私の周囲は山に登る人が多かった。出会う人出会う人が登山が趣味だった。何が良くて大変な思いをして登るのか私には理解できなかった。高山植物の写真や山で汲んだ湧き水をお土産にもらった。ちょうど40才の時、教会の青年会で富士山に一緒に登ろうと熱心に誘われた。断っても断っても勧める女の子。アメリカ人の宣教師は「大丈夫、これまで私は2回富士山に登っていますから私が案内します。」と日本の山を外国人に案内してもらう事になった。高山病で頭頂を断念した人もいたが私は登頂した。けれど、もう二度と行きたくないと思った。その私が10年後に登山を始め登山靴をオーダーしていた。
3.アリとキリギリス
美味しいものを取っておいて後で食べる派だった私は子供の頃、熟れたスモモを姉に取られていた。美味しいものを先に食べる人の方が損しないと知ってからもこの癖は意識しないと治せなかった。また「若い時の苦労は買ってでもせよ。」という言葉を何の疑いもなく信じていた。若い時は苦労しても尻上がりに良くなる人生がいいと思っていた。美味しい物を取っておくのも同じ原理だったのだろう。しかし、シニアになってみるとアリは自分を疑った。若い頃に老後の為にせっせと働いて蓄えたアリ。それに引き換え美味しい物を食べ好きな事をして若き日を存分に楽しんだキリギリスは本当に愚かだったのか?若い頃に食べたいと願った欲求は老いた日にはなくなっている。欲しくてたまらなかった物もさほど願わなくなっている。強い欲求がある時に与えられる喜びと満足感は、老いてから得られても全く及ばないのだ。しなかった後悔はしてしまった後悔よりも辛い。我慢を美徳と教えられた私の人生はもう終しまい。アリもキリギリスもどちらも間違ってはいないのだ。
4.結婚
私の周囲の人達は結婚したいという思いが強く、どんなことしても結婚したいと言っていた。私は「そ、そこまでは…」と引いた。なぜ、そこまで強く願うのか解らなかった。「そこまで強く願わなくても時がくれば結婚できると思う。」と言う私にある同僚は首を横に振って「それでは結婚出来ないわよ。私は結婚するわ。」と言った。姉もまた同様に「どんなことしても結婚したかった。」と結婚後に語った。また、職場の後輩も結婚したいと泣き叫ばんばかりに言うのだった。こちらから見れば、そんなに願わなくても彼女達が結婚出来るのは必然と思えたので不思議だった。しかし最近、私は同様に強い結婚願望に捉えられて彼女達のことを思い出した。そうして今頃やっと彼女たちの思いや語った言葉が解るのである。私が変えられたのだ。
このように人生では180度変わってしまう自分がいる。だから明日のことはわからない。