統合失調症の家族を持って

 先月、統合失調症の70才の三姉が乳癌で逝った。

高校の後輩のお姉さんが統合失調症になったと聞いてから2年も経たないうちに私の三姉も同じ病になっていった。100人にひとりはいると云われたくらい国内で急激に増えて行った時期だ。私にとって人生で三つの指に入る程ショックな出来事だった。統合失調症患者が増えた原因は別れていた精神分裂病躁鬱病などのいくつかの精神疾患病をひとつにまとめて統合失調症と呼ぶようになったからだと私は理解している。それまで統合失調症と云う言葉はあまり聞いたことがなかった。家族は関係が近すぎて病気と認めることができず多額の負債請求が家族の元に届いて初めて気付くと云うのが多いらしい。私も会社の女の子に言われるまで気付かなかった。私だけではなく三姉の主人(義兄)も近所の人から言われるまで気付かなかった。長年いっしょにいる家族は性格としか思っていないので病気だと認めるのに時間がかかるのだ。姉は悪いことに新興宗教にのめり込んでいた。もっと悪いことに新興宗教に姉を誘ったのは母だった。二人がかりだと他の家族が引き止めても脱会させるのは至難の技だった。三姉の発症から両親が実家に引き取ってくれるまで9年かかった。30才だった私は39才で引越すまで人生の中で最も辛い時期だった。社会的にはバブルの頃で自営業の姉夫婦はその恩恵に預かっていた。だが義兄に今のうちに家を買っておくよう勧めたが義兄は儲けても儲けてもちっとも嬉しそうではなく「これは、あぶく銭だよ」と吐き捨てた。バブルだと知っていたのか。

 姉の病が悪化してもなす術がなかった。人権問題が騒がれてから措置入院は難しくなっていた。振興宗教の勧めで離婚を促され三人の子供たちも犠牲になった。他にも幸福の科学統一教会合同結婚式など社会は騒がしく入り乱れていた。そんな時代の荒波にどっぷり呑まれていったと思う。

 姉が病気とわかった時はショックだったけれど、よくよく幼い頃を思い出すとうなづけることが多いと気づいた。やがて叔母からも従姉妹が統合失調症になったと聞いた。統合失調症お姉さんを持った高校の後輩も自身が病んで行った。精神科に家族相談に行ったり警察に走ったり、怒鳴り込んでくる姉に怯えたりというだけではなく、結婚して子供を産み育てていく同級生と違って、自分の人生を生きていない感覚と将来への希望もない泣くだけの日々だった。

 私は30才で受洗したが、祈祷会で祈ってもらいたいと申し出ても取り合ってもらえず自分の辛さを自分一人で抱えていなければならず、更に教会への奉仕を求められて信仰生活そのものが重苦しくのしかかってくるのだった。父は「キリスト教は痩せ我慢の宗教だ。」と言い、義兄は「神様がいるのなら、なんでお前はそんなに苦労するんだい?お前が結婚できたら神様を信じてやってもいいよ。」と言った。私が幸せでないことは誰よりも私自身が知っていた。感謝出来ない中で必死に感謝を探しても、心から湧き上がる喜びなどではなかった。だから私はキリスト教への誘いなど出来なかった。それなのに義兄は私の部屋に下がっていた『みことばカレンダー』を読み上げるとポツリと訊いた。「あんたの神様はオレのような者でも救ってくださるのかね?」その年のクリスマス礼拝に義兄が娘と一度だけ来たのだった。義兄は「オレは心臓で死ぬよ。」と言っていたとおり心筋梗塞で50才の生涯を閉じたのだった。