おまわりさんより怖かった

幼かった頃、子供が聞き分けがないと大人たちは「ほらっ、おまわりさん来るよ!」と言って脅した。しかし私の田舎ではおまわりさんより怖いものが来た。「ほらっ、精神病院から迎えが来るよ。そんな子は精神病院に連れてかれるよ!」と脅されたのだ。呑んだくれて道に寝ているレロレロのへべれけも精神病院のワゴン車から降りて来た白衣の男性二人に両脇と両足を持ち上げられて連れて行かれた。当時は人権問題を叫ぶ声もなければ泥酔者も多かった😵‍💫。車に乗せられていく光景が子供心に怖いものとして焼き付いたのだ。

 すぐ隣町に大きな精神病院があった。病院の敷地内には別棟に精神疾患者が入院している建物があり、他に肢体不自由者施設もあった。古い石造りの建物は定かではないが3、4階建くらいに見えた。私が高校生の時、線路沿いにある建物には幾つも小さい四角い窓があり、どの窓の鉄格子からもひょろりと白く細い腕が伸びて列車に向かって手を振っていた。この頃から私は精神科に惹かれて行った気がする。母の奇行に悩み始めたのは中学生の頃だった。母にひとたび捕まると2時間は蛇に睨まれたカエルと化した。口を挟むことはいっさい許されずただただじっと我慢して母の溜飲が降りる時を待たねばならなかったのだ。父は母によく「お前も病院に入れてやろうか(怒)」と言っていた。私はこの2時間を凌ぐべく自分の中でいろいろ試みた。ある時、私は傾聴するカウンセラーだと思うことにした。だが、すぐに私はカウンセラーには絶対なれない!と諦めた。目をギラギラさせて怒りを込めて語る母に呑み込まれそうで閉口した。母よりも自分自身を救うために書店で心理学系の書物を漁るようになった。いつしか自分が精神科に行くことになりそうで怖くなって書物で自分を救おうと試みていた。救いになったのかならなかったのか判らないまま、精神科医の書いた本に没頭して行った。木村敏著「間の構造」には、特に惹かれたと記憶している。けれど精神の問題を実用書でも読むように役立たせることなど出来る訳はなかった。読めば読むほど病む思いは強化されて私は何か病んでいる気がする、いつか精神病院に行く気がする、と焦った。その不安がやがて13年後に現実のものになろうとは、この時、知る由もなかった。

 

最近は思考が現実化する、と結構You tube で賑わっている。いや、私がその辺りをうろついているだけかも知れないが、得体の知れないスピリチュアルな事を母から聞かされるたびに辟易していた私はミイラ取りがミイラになって母は務めを果たしたかのように置き土産に安堵して微笑んでこの世を去って行った。