B.C.とA.D.

高校2年の時、新しく世界史の教師が赴任してきて初めての授業だった。紀元前と紀元後から始まり先生は大きい声で「ここから世界はまっぷたつに分かれてる」と言うと黒板をまっぷたつに切るような勢いで白いチョークで真っ直ぐに縦線を引いた。こっちはB.C.でこっちはA.D.だ。こっちはbefore Christ キリスト以前、こっちはanno Domini ここから主の年で僕らが今居るのはここだ!このラインは、いいかぁ、キリストが生まれた時ではなくキリストが死んだ時なんだ。ここから世界は変わってるんだ。」と言った。私は日本史を思い出し、小田信長や徳川家康が死んでも世界が変わった訳ではない。それは歴史上の1人の人物が亡くなっただけだ。なのに何故キリストが死んだだけで世界が変わるのだ?ただの人間ではないのだろうか?と思っていると先生が言った「イエス•キリストは人の子であり神の子である」私は面くらった。いったいどういう意味?どっちなの?そこにだけ引っかかって後の授業は耳に入らない。授業が終わるやいなや廊下に出た先生を捕まえて尋ねた。「先生、今イエス•キリストは人の子であり神の子と言ったでしょう?あれはどういう意味ですか?」すると先生はうーむと頭を掻いて困っていたが、「僕はこれ以上は応えられないなぁ。あそこにね、教会があるから、そこで訊くといいよ。きっと僕より明確に教えてくれると思うよ。」と街の方を指差した。私の高校は普通の県立高校だった。その街にはたったひとつカソリック教会があり幼稚園も兼ねていた。高校時代、寮生活だった私は寮母さんが教会に行っていたのを知っていた。毎週、教会に持っていくお菓子を焼いたりキャラメルを作ったりしていて包むのを手伝っていた。楽しそうに作っているので「教会ってそんなに楽しいの?」と聞くと「楽しいわよ、今度行ってみる?」と言われたので行く約束をしていた。しかし、教会に行く前日に父から訃報の電話が入った。叔父が亡くなったから外出しないでいるようにという連絡だった。

叔父は旧制一高から国立大に行き教職課程をえた。教員だった祖父は自分の希望を叶えてくれた長男が自慢の息子であった。しかし叔父は教員にはならず小さな電気店を営んでいた。私が高校1年の時、父から「叔父さんがおまえから手紙を欲しいって言ってるよ。葉書でもいいから出してやってくれるか?」4人姉妹の中で末っ子の私を叔父はいちばん可愛がってくれた。何を書いて良いかわからなかったけど一応書いて出すと父が「叔父さんがおまえから葉書が届いたって、そりゃあ喜んでたよ。ありがとな。」と言ってきた。その数ヶ月後に叔父は自死した。私は葉書の最後の1行を悔いても悔やみきれなかった。自分が殺してしまったと思った。余った最後の空間を埋める為に私が書いた1行はこれだ「この葉書は最初で最後の葉書です。」何故そんなことを書いたのだろう。言葉の持つ力の恐ろしさは小学生の頃から知っていたはずだった。訃報のあった夜、夢を見た。祖父が高い門の前に居て、ここに入ってはいけないと言いながら門を開けた。中庭に集団が歩いてきて一人の人が手を差し出した。私は握手した。それは叔父だと何となく思った。握手すると皆が背を向けて帰って行ったので私も門に向かった。石造りの建物の上の窓から大勢の人が見下ろしていた。あれは教会のようでもあり精神病院のようでもあり中世の古城のようでもあった。