喪失したら

愛する人が死んだなら奉仕の気持ちになりなさい」と言ったのは中原中也だ。9月末に施設入所中だった母親が救急搬送された。その入院を母の妹の叔母に伝えようと電話したら叔母の代わりにご主人が電話に出て「うちは2、3日前に亡くなったよ」と言われた。「姉妹で仲良く逝くんやなぁ」と叔父は言った。叔父は認知症がひどく、それからまもなく電話は途切れた。1人になったので施設に入れられたのだろう。コロナ禍ではオンライン面会しか出来ないので母は在宅で看取ることに決めた。叔母の約1ヶ月後に母も後を追うように逝った。一緒に過ごせたのはわずかな時間でしかなかったが、それでも母は喜んでくれて幸せそうだった。亡くなる前には優しく微笑んだ。それから2ヶ月が経った頃、私はいつしか精神が不安定になっていた。父や姉やペットロスの時も同様に喪失直後ではなく2ヶ月が過ぎた頃に不安定になっている。ふだん精神科に通っているわけではないが喪失体験したらお世話になる。一過性のうつになりかけているのでは?という不安から医者に尋ねてみたが鬱にはなっていないと思うよと返ってきた。それより何故薬を飲まなかったかと怒られた。飲まなかったのではなく飲み忘れたのだと説明しようとすると「愚痴は聞きたくない!と一喝された。医師には母の死は伝えてあった。しかし2ヵ月前のことだ。急な激しい言葉に頭が真っ白になった。怖くて医師の顔を見れず下ばかり見ていた。説明のつもりが医師には愚痴でしかないのだ。5分診療を引き延ばして他の患者に迷惑をかけていると言われた。医療以外の話が多過ぎると言われた。医療の話とは服薬の結果報告と今後の薬のことだ。これだけでちょうど5分で納まる。激しくキーボードを叩く医師を見ていて私は危惧していたものだ。積もり積もった不満はいつか伸び切ったゴムが切れるように突然プッツンとキレはしないだろうか?と。そしてそれは的中した。こんなとき私は真っ先に思うのだ。夫も子供いない常識の枠外で生きてきた人生のツケではないかと。人の怒りに対処すべく方法もわからず右往左往してパニックになってしまうのは人が生きていく上に大切な社会の常識が欠如しているのでは?と。私の治療も3分で終わる時もあったし30分の時もあった。また他の人のために30分以上待たされたこともあった。しかし待たされていた時はむしろ嬉しかったくらいだ。1人に時間をかけてくれるのが嬉しかった。私は医療従事者の立場はわからない。患者の立場でしか書けないのだから正しいとか間違いとか言うのではなく、ただ一方的に書いているに過ぎない。私はこの医師にたくさん助けてもらった。その多大な感謝を伝えて和解のうちに去りたかったが実際はそうはならずお礼を言うどころか火に油を注ぐように医師の怒りを買って通院は破滅した。薬も出さないと言われた。最も医者と薬を必要とする時に放り出されたのだった。一挙に4人との別れを経験することになったのだ。心療内科はどこも予約で埋まっていて取れなかった。手元にある薬で対応しつつ医者に詫び状を書いた。しかし怒りを取り除く事など期待できないだろう。私はこういう別れ方が最も心が傷んで嫌なのだ。和解のない別れは後味が悪過ぎる。喪失したら何かを得るチャンスに引き換えたくてメディカルドクターズクラークを学び始めていた。就職など出来る年齢ではないけれど少しは医療従事者の大変さがわかるかもしれない、単身の高齢者なら感染症現場で失われる若手の無念を助けられやしないか、スイーパーでもいい、老体を人の役に立たせて去りたいものだと思うのは老人の執着に過ぎないのだろうか?