身内と他人の境界線

ある青年が母親から「身内と他人を区別しなさい!」と言われて考えた。しかし考えれば考えるほど線引き出来ないと悩んで相談した。どこからが他人ですか?と訊いた。辿っていくと確かにどこまで従姉妹や従兄弟、孫ひ孫、とキリがなかっただろう。そこで私は教えてあげた。「君のご両親は他人だったのだよ。家族は他人から出来てるのさ。いや、むしろ他人からしか家族は作れないと言った方がいいかなぁ」と。彼は固まってしまった。こんなパラドックスをどう扱っていいのか解らないという様子だった。会ったこともない身内もいれば離婚して、よく見知った他人もいるわけだ。青年のご両親も離婚したら他人になる。家族という枠組みが彼の中で音を立てて崩れ落ちるだろうし他人という距離感もグンと違う様相を見せるようになる。親が離婚した子供達は単純なこのシステムに複雑な思いをさせられるのだ。私だって家族という言葉をどう使ったら良いのか解らない。親や兄弟姉妹が一緒に住んでいた頃は、まごうことなく家族と言える。だがやがて各々が家庭を持ち独り立ちしていくと、そっちが家族になる。それでも旧(?)家族は家族と呼ばれる。「あなたの家族は?」と聞かれたら夫や子のある人は、そこを家族と言うがそれに祖父祖母も加えて家族と呼ぶ。同居していなくても祖父祖母はどの子供の家族とも組み込まれるので家族が重なって存在している感じだ。どうやら第二親等までを家族と呼んで良いらしい。歳を重ねてくると疎遠になりがちだが、また他人と一緒になれば家族が出来る。結局のところ身内も家族も気持ちひとつで決まってしまうのだ。ふと若い頃「70才になったら結婚しようかなぁ」と冗談めかしに言っていた事を思い出した。皆に「老人ホームで結婚するの?」と笑われた。当時の70才は殆ど老人ホームに入所していたものだ。そして実際に老人ホームで結婚した人がいて話題になった。その頃同時に「僕は100才まで生きるんだ。」と迷い無く豪語する同い年の男子がいた。私は自分のことは棚に上げて驚き呆れたけれど、それも今では人生100年時代と言われ、おかしい事ではなくなってきている。それなら私の結婚適齢期はそろそろ目前に迫ってきていることになる。なんて楽しみなことだろう。